
下の子が2歳へ向かうにつれ、段々と目が離せなくなってきました。自分の主張が通らなければ大きな声で泣き、家でも野外でもおかまいなしに転がる様子を見て、「長女の時はもっとつらかったなぁ」とふと思い出しました。
こちらの記事でも難聴になった話を書きましたが、
http://aomihikari.com/2016/09/14/nancyo/
今日は私と同じように、「子どもの泣き声がストレスすぎてどうしたらいいの」と思っている方に向けて、記事を書きたいと思います。
「あれ?母性って子どもを産んだら自然と出てくるんじゃないの?」
私の育児は出だしから少々つまづいてしまい、赤ちゃんを授かったのに「あふれる母性!愛しいわが子!」というふうにはならなかったのです。子どもを産む前に私の中にあったのは、「抱きしめて育てよう、いっぱいおしゃべりしよう」という意識だけで、小さすぎて抱っこも不安定、無表情で反応がない新生児の子育ては、全くイメージの外だったのです。
「あれっ、おかしいな」と思いながらスタートした育児は、その後も母性がはじけることなく、「こんなものなのかな、それとも私がどこか壊れてるのかな」と不安なまま進みました。自分が母親として自信がないから、TVや本に載っている「キラキラママ」の発言に落ち込み、親族のなんということもない一言に傷つき、ひどく疲れていました。
仕事に復帰し、「やっぱり仕事楽しい!仕事に生きよう!」と仕事にかける時間が長くなるにつれ、子どもにかけてあげる時間と体力が減っていきました。保育園に着くころにはもうクタクタで、無表情で「とにかく世話をしなくちゃいけないから子どもの面倒をみている」ような状態。自分でも良くないとはわかっていましたが、やりたい仕事と逃げたい育児の間で、動けなくなっていました。
子どもの泣き声なんてもう聞きたくない!
そんなころから、子どもの甲高い泣き声が、耳の奥でハウリングするという症状が出始めました。仕事に支障が出るほどではありませんでしたが、ただでさえストレスのたまる子どもの泣き声が、さらにイライラの元になっていきました。「うるさい!もう静かにして!」と子どもに怒鳴る回数も増えていきました。
ある日会社で、強烈な耳鳴りが起き、明らかに聞こえがおかしくなりました。病院へ行き、低音障害型感音難聴と診断され、「ストレスが強い人がなりやすいんですよね」と説明を受けました。
薬の服用で症状はやわらぎましたが、正直、今でも子どもの泣き声は苦手ですし、体調が悪い時は耳鳴りなどの症状がぶり返すこともあります。明らかにイライラした態度を取ってしまい、泣いている子どもを積極的になぐさめに行けない時もあります。
子どもの泣き声が苦手な人は、どうすればいい?
まず、大前提で言っておきたいのは、以前の私のように「うるさい!黙れ!」と子どもに怒鳴ったり、恫喝したりするのは、結局のところ逆効果で自分の首を絞めるということです。小学生未満の小さな子は、そんなことをすればますます泣きますし、小学生以上の子の場合は、その場では泣き止んでも、大きくなって多分それなりのしっぺ返しがくるでしょう。
それ以外の方法で、なんとか子どもの泣き声と折り合いをつけていくために、私は以下のようなことをしていました。
その場を離れる
すぐにできる対処法として、一旦その場を離れることをオススメします。目を離してもケガをしたりすることのないよう、危険なものが近くにないか確認しておくか、あるいはベビーサークルなどを利用するといいと思います。「どなっちゃいそう」と思ったら、ぐっとこらえて別室へGO。ちなみにわが家は狭いので、逃げる場所はトイレくらいしかありませんが( ;∀;)深呼吸をして、できれば面白いマンガでも数ページめくって、気分転換してから部屋に戻ります。
怒りのピークさえしのげれば、恫喝などの激しい対応はせずにすみます。慣れてくると、「あ、これ以上泣かれると限界」というラインに自分で気づいて、早め早めにトイレで休憩できるようになります(/・ω・)/
思いきって子どもに近づく
子どもが泣いていると、抱きしめてなぐさめた方が早く泣き止むとわかっていても、体が拒否してしまうことがあります(私だけ?)。これ、苦手だと思っている相手がいる時と同じだと思うのですが、思い切って相手のふところに飛び込んでいく方が、意外と心労の元が解消されたりするものです。
その場を離れてちょっと気持ちが落ち着いたら、頭がごちゃごちゃ考え始める前に、「エイッ」と体当たりで子どもを抱き上げるか、抱きしめてみます。泣き止んでくれればもちろん良いですし、泣き止んでくれなくても、不思議と一度抱きしめてしまうと、相手のふところに入ったためか、泣き声へのいら立ちが多少やわらぐ気がしました。
周りの親だって似たようなものだと知る
「こんなに子どもの泣き声が苦手だなんて、私親失格だわ」と私もかつて思っていましたが、ようやく最近になって、「どの家庭も母性全開キラキラファミリーというわけじゃない」という実感を持てるようになりました。
最近も長女のクラスメートのお母さんと話をしていて、「人の目があると一応『良いお母さん風』のフリをするじゃない?この前誰もいないと思って子どもを外で叱り飛ばしてたら、後ろに知り合いのママさんがいて卒倒しそうだった」とか、「今の旦那がまだ彼氏だった時、うっかり子どもに怒鳴り散らしているところを見られてしまい、一晩泣き暮れた」とか、「やらかしてしまったあるある話」に花が咲きました。
そう、どの家庭も本当はきっとそんなものです。アドラーだ7つの習慣だとエラソーに記事を書いている私も、家では子どもたちに「もううるさいっ、あっち行ってて!」なんてしょっちゅうです(反省…)。
泣き声がツライというのは、子どもの泣き声に人一倍責任感を感じているということの表れでもあります。「どこの家もこんなもの、子どもが泣くのは当たり前、親がイライラするのも当たり前」と思うことができれば、少し気持ちが楽になりますよ。
「お母さんがニコニコしていることが一番大事」というアドバイスは無視
育児書とかで見かけるこのアドバイス、「そもそもニコニコできるなら悩んでない」と全く役に立たないばかりか、「ニコニコできない私はダメ母」というマイナス思考につながりかねないので、完全無視をオススメいたします。素直だった20代の私はこのアドバイスにどれだけ苦しめられたことか…。
どうしてもイライラして怒鳴ってしまいそうな時は、ニュートラルにギアを入れてしまいます。あるいは自分が家事ロボットにでもなったと思います。子どもが泣こうがわめこうがそれにはいちいち大きく反応せず、黙々とすべきことをやり、「笑わないが怒鳴りもしない」状態で過ごします。感情をエコモードに入れ、気力が回復したらまた笑顔に戻れば大丈夫。
子どもを預けてリフレッシュできればそれに越したことはないのでしょうが、「どこに預け先があるって言うの」という方も多いかと思います。そんな時はこの「心のエコモード」にスイッチを入れ、低エネルギーモードで家事をこなしてみるのはいかがでしょうか。黙々と作業をこなしているうちにやらなければいけないことが終わっていくので、意外と気分が晴れて、笑う元気も出てきますよ。
自分の中のいら立ちをどう処理するかは、自分次第
アドラー心理学の中で、「怒りは出し入れ自由な道具」という考え方が出てきます。つまり怒りは自然発生的に生じるものではなく、自分の中で「怒りの感情を出して相手に言うことを聞かせよう」といった目的があって、作り出されるものだという考え方です。
子どもの泣き声に対しても、同じ考え方ができます。子どもの泣き声にイライラしたとき、子どもに怒鳴ってみせるのか、抱きしめるのか、ニュートラルにギアを入れるのか。その行動の選択肢は自分の中にあるということです。
怒鳴ってみせるというのは、短期的な報酬(一時的に気分が晴れる、子どもが黙るかもしれない)が大きく、一番人が「選びやすい」選択肢です。でも、長期的な報酬(子どもとの信頼関係、健全な成長)という視点では、あまり良い方法ではなさそうです。
人はラクな方へ流れがちで、この選択肢にあらがうのはなかなか大変です。でも、「いらだちに対する選択肢は自分の中にある」と一度考えてみるだけでも、子どもへつらく当たってしまう回数を減らせるのではないでしょうか。
※アドラー心理学に興味がある方は、まずこちらのベストセラーの本からどうぞ。育児本ではないですが、育児に活かせる話がたくさん出てきます。

嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ]
寝る
毎回こういった記事を書くと、必ずこの結論に達してしまって申し訳ないですが、睡眠不足って本当に本当に全ての元凶になり得ます。イライラして仕方がないという場合は、本気で寝ることの優先度をMAXまで上げてください。「夜間授乳で数時間おきに起きている」という状態は、全然「休めている」とは言えないので、泣き声にイライラするのも、怒りをコントロールできないのも、性格だとか母性だとかいう難しい話でなく、ただ単に「寝不足だったから」という理由かもしれません。
寝られる状況であれば休み、どうしようもなければ「寝てないから仕方ない」と思って、泣き声にいらだつ自分を、必要以上に責めないでくださいね。
子どもの泣き声に追いつめられませんように
難聴になった時は、「私は難聴になるほど子どもの泣き声が嫌いなのか、それでも親か」と自分を責め、その自責の念が余計にストレスになっていたと思います。
もし同じように泣き声で苦しんでいる人がいたら、私のように「未だに泣き声が嫌いで、次女が大泣きし続けていると能面のような顔になる」人間もいると思って、気持ちがちょっとでも慰められれば幸いです。
この記事を読ませていただきました。
ある意味救いになりました。
ありがとうございます。
記事を読んで頂きありがとうございます!