ANAの動画『1 Ticket ~魔法のチケット~』は共感できない



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インド駐在の時、日本に帰国するためANAに乗って優しく親切なフライトアテンドさんにお会いするたびに、「ああここはほぼもう日本。安心して過ごせるわ~」とうっとりしていた青海です。しかしANA大好きなだけにこの動画はちょっとがっくりしました

https://youtu.be/9iLoqtNbMmk

こういう動画構成になる気持ちはわかる

ネットで「すごく感動する!」と話題になっていたので、なになにどんなもんかしら、とみてみたのですが…うーん…。小さい子を持つ親として、私おそらくこの動画で狙っていたターゲットに入るのだと思うのですが、全然入り込めないし共感できない。

ANAの決裁権がある広告担当者に、「webでバズるような感動的な動画をいっちょう作ってくれ」と言われて、頼まれた広告代理店の担当者が、わかりやすく「子どもが家族のために自分の楽しみを犠牲にする」動画を作っちゃった、みたいな背景があったんだろうかと推察するわけですが、このストーリー展開はどうなのかと訴求対象である私は思うわけです。

何が残念なのか?

そもそも、チケットが1枚足りないって悪趣味

CM用の作り話だとは思うけれど、バラエティ番組でお笑い芸人さんにドッキリしかけてるわけでもなければ、子どもの行動学の研究してるわけでもないんだから、「1枚足りないチケットを渡して子どもがどういう行動に出るか大人が観察する」ってちょっと悪趣味じゃないでしょうか。私が子どもの立場だったら、親がこれをしかけていたと知ったらものすごく怒ると思う。愛情を試されるようなマネをされて嬉しい人ってそういないし、それは子どもでも同じではないのかな。

「行くのを止める」という選択が最適解?

「1枚足りなくて家族の誰かがいけない。それなら自分も含めて皆行かないことにする」という決断を出した子どもに、親は泣いて感動しているんですが、そこは本当に感動ポイントなのかとツッコミを入れたい。もし自分の子どもだったら「どうにかして全員で行ける方法を考え出す」という選択をしてほしいし、何なら「なんであきらめちゃったの」と残念な気持ちになると思う。いや、そういう結論を意図している動画じゃないことは理解しているんだけど、どうしても行くのをやめるっていう決断が素敵と思えなくて、共感できない…。

家族のために自分が楽しみにしていたことをあきらめる、その行動が美しく感動的だという見せ方をするこの動画、ちょっと考え方が古臭くないか?と昭和生まれの自分でも思うわけです。ちょっと前に話題になったけど、秀岳館吹奏楽部が甲子園の応援のために南九州大会出場をあきらめたって話が、美談としてまとめられていた時と同じような匂いを感じる。

というか、そもそもこの動画の使命は「週末ANAを使って家族旅行しよう」と訴求することのはずなのに、動画の結論が「1人行けないなら皆行かない」でいいのかいな。この動画をみて「子どもたちは家族皆で一緒に旅行に行きたいと思っているから、忙しいお父さんお母さん、予定を調整してANAを使って旅行してね」という結論にもっていきたいんだと思うんだけど、逆に「どうしても全員一緒に行ける都合がつかない場合は、子どもが悲しむからそもそも旅行を止めるべきってことか」という感想を持った私はひねくれてるのかな。この動画の評判が良いってことはひねくれてるんだろな(;´・ω・)

意図はわかるんだけども

志布志市のうなぎ動画の時も思ったけど、「意図はわかるけどこのストーリーになぜしたのか」と感じる動画が最近ネット上で話題になるようになって、これはむしろ広告会社が多少は狙ってやってるのかしらんといぶかしんでいる昨今です(ちなみに私は、うなぎ動画は少女うんぬんよりホラーな印象を持ちました)。ひねりがなければ拡散されないし、ひねりすぎると反発されるし、多様な価値観の中で受け入れられるようにと動画制作関係者の方々がウンウン悩んだ結果、最終的に本来の意図が伝わりにくい企画になっちゃうということがあるのかもしれません。

えにうぇい(突然英語)、我が子が同様の立場になった場合には、ぜひとも「親のマイルが今現在どの程度あるかを調べて、それで行けそうな場所を旅行先にする」とか「ANAさんがチケットをくれましたが、私の家族はもう1人います。どうか夢の家族旅行のために資金援助をお願いします。援助くださった方には旅行先の沖縄で撮った美しい写真をフリー素材としてお渡しします」とクラウドファンディングを呼びかけるとか、そんなたくましい子になって頂きたいです。

…などと訴求対象が一生懸命我が子だったらどう行動するかなっていうのを想像したり旅行について考えたりしてるから、結局のところこの動画は正義、ってことになるのかな。うーむ。