【あなたの好きは誰かの嫌いかもしれない】「嫌い」という感情もミニマムに



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コンビニなどで我が子がお菓子を買いたいというと、「お菓子ばっかりじゃ体に悪いからダメよ」と言いながら、自分用のチョコレートをこっそりカゴに入れております、青海です。そんなことをしているから罰があたって腹がぷよぷよになったのですね。はい、猛省しております

タイトルはJTの広告で使われていたキャッチコピーですが、以前このコピーを強く意識をする出来事があったので、自分自身のためにもここで書き残しておこうと思います。

オタクってダメなのですか

ママ友さん数人で話をしていた時、子どもがアニメオタクやコスプレイヤーになったらどうする?という話題になったことがありました。私自身は学生時代、残念な二次創作をせっせと作っては友人に見せるという黒歴史を持つ程度にはオタクでございましたので、「全然オッケー」だったわけですが、数人のママさんが反射的にこう言ったのです。「えぇっ、そんなの生理的に無理!困るわ」と。

その方曰く、電車などでアニメのコスプレをしている子を見かけると鳥肌が立つそうで。おお、そんなにとは…とレイヤーさんのツイートを追いかけてしまう私は2秒くらい固まったのですが、そうかなるほど、これが「あなたの好きは誰かの嫌いかもしれない」の実例なんだと身にしみたのです。

よく知らないから怖い

個人的にはこの「生理的に無理」は「よく知らないから怖い」と同じ意味合いであることも多いような気がするのです。「生理的に無理!」と言っていた彼女も、親しい友人などにイケメンでさわやかでダンディな超アニメオタクがいた場合には(実在するだろうか)、おそらく「無理」という意見にはならなかったんじゃないでしょうか。コスプレイヤーにいじめられた過去があるから嫌いなわけでなく、「何であんな格好をする必要があるのだ、自分には理解できぬ、怖い」から「無理」なんじゃないのでしょうか。

素敵なところを知ろうとしてみることが始まり

逆に言うと、知ろうと思えば、「誰かの好き」を「嫌い」と感じることも減っていく気がするのです。私は昔、飲み会が嫌いでした。うるさいし、酔っ払いは面倒だし。でも会社に入って、同僚の1人が「人との距離が近くなって、深い話ができる瞬間があるから飲み会が好き」と言っているのを聞き、なるほどと思ったのです。飲み会をやたらと開きたがる上司にうんざりした顔を隠しもしない部下でしたが(;´∀`)、そこから付き合える時は付き合うようになりました。飲み会を通じ、上司とも気負わずに話ができるようになったり、悪いものじゃないな、と思えるようになりました。

「嫌い」という感情をミニマムに

暮らしをミニマムにしたいと思っていますが、同時に精神的な面でもミニマリストになりたいいと感じています。ミニマリストの定義もいろいろですが、私のイメージは「自分に必要十分なものが何であるかを自覚し、不要なものを所有しないでいられる人」です。自分に必要十分な価値観ーーーつまり自分の指針となるような最低限の判断基準だけを持ち、それ意外のことについて不必要に「嫌い」という感情を持たないこと。自分が何かを「嫌いだ、受け入れがたい」と感じた時は、常に「それはよく知らないから怖いと思っているだけでは?」と自問自答するように心がけ、「誰かの好き」に対して、良いところはどこだろうと知ろうとする気持ちを忘れずにいたいと思います。そうやって、自分の「嫌い」を少しずつ減らしていって、心の空き容量を増やしていければ、スッキリとした不要なもののない部屋のような、落ち着いた心を維持できるでしょう。

そしてもちろん、「生理的に無理だわ」と言った友人を「どうして理解してあげないの」と責めたり嫌いになったりするのではなく、「価値観はみんな違っていいものだ」と受け入れるフラットな気持ちも、大切に持ち続けたいです。

日本人は形から入るもんだってミサトさんが言ってた(byエヴァンゲリオン)から、私も部屋の片づけをしつつ、目指すミニマリストの精神に近づきたいと思っています。