【BeFree創作部】山を登れば君は



2歳児を抱えての買い物は何かの修行なのだろうか。

ベビーカーに乗る・乗らないでまずはひとしきり大騒ぎがあり(結局ベビーカーは拒否され徒歩になった、荷物が重い)、1人でエスカレーターに乗ると言って案の定落下しかけ(とっさにカバンを持った右手で支えたのでどうやら右ひじを痛めたらしくジンジンする)、スーパーに入れば生肉の入ったパックを上から指で突き刺し(仕方ないので今日は唐揚げだ)、カートに乗ったらとすすめたらギャン泣きされ(見知らぬオジサンに舌打ちされた)、一瞬目を離すと消えている(お菓子コーナーでチュッパチャップスを開けようとしていた、やめてくれ)。

そしてどうにか買い物を終えた今も、子どもはスーパー横の路上で寝転んで泣き叫んでいる。大通りを歩く人の視線は痛いが、細い路地で誰かの通行を妨げていないだけマシだろうか。

両手には検討の余地なくカゴに放り込んだ食材がいっぱいで、子どもを抱き上げる余裕はない。

「ねぇ、あーちゃん。おうちに帰ろう。早く帰らないと買ったアイスが溶けちゃう」

声をかけるが、子どもは相変わらず大泣きしたままで、何やら舌足らずな文句を言っている。文句を言いたいのも、泣きたいのもこちらのほうだ。とうとう大通りで足を止めて、遠目にけげんな顔でこちらの様子をうかがう人まで出てきた。

(なんでこんなにたいへんなのに、子育てしてるんだっけ)

ふと、そんなことを思う。

(冷たい視線は浴びせられるし、思うまま自由に働くこともできないし、ランチさえゆっくり食べられない)

特に誰かが褒めてくれるわけでもないのに、こんな苦行を続けているのはなぜなんだろう。

顔を上げると、小学生向けの夏の登山教室のポスターが目に入った。ここから車で2時間ほどの山だ。ロープウェーも通っているが、登山道を歩いて登るイベントらしい。

(……登山って人生みたいだな)

子どもがいる人生を選んだ者は登山道を歩き、子育てをしない人生を選んだ者はロープウェーで速やかに頂上へ向かう。登山道を歩くことを決めたら、途中で「やっぱりロープウェイにしとけば良かった」と思ってもそれはできない。横目でロープウェイが何本も過ぎ去っていくのをながめながら、汗水たらして上へ進むしかない。

ロープウェイに乗っているひとは、「なぜわざわざそんな面倒なことを」「結局見える景色は同じなのに」と思っているかもしれない。無理もない、登山道を歩いている自分でも面倒な道を選んでしまったという自覚がある。

でも、それでも人が登山道をわざわざ自分の足で登るのは、登る過程に苦労と楽しみがあるような気がするからだ。「大変だ」「本当に」と仲間と苦労をわかちあったり、道端で食べるおにぎりのおいしさに生きる力を感じたり。

(……自分の弱さを目の当たりにして、それに打ち勝つ経験をしたり)

スーパーの袋を全部地面に置いた。不衛生だがしかたない。

「あーちゃん、ごめんね。ママ機嫌悪かったね。仲直りしよう」

そう言って子どもを抱き上げた。

あんなに号泣していた子どもが、素直に抱き上げられて泣き止んだ。

涙でぐしゃぐしゃになった子どもの顔をてのひらでぬぐった。地面のあとが顔についている。

「いーよぉ」

子どもが涙声で言って、首に腕をまわしてきた。泣きすぎて熱を持った身体を抱きしめる。

(登山道は厳しいけれど、歩くことで得るものだってある)

素直に謝る力とか、突発的なトラブルへの対応力とか、周りの目を(なるべく)気にしないようにする鋼の心とか、そういうものは、きっと別の山を登りたくなったときにだって役立つだろう。

ロープウェーで登っていったひとたちは、きっと別の山の登山道を行く。今度はこちらが「何でわざわざそんな山を登るのか」と、ロープウェーから見下ろす側になるのかもしれない。

どちらの道を選んでも良かった。ただ自分は、育児という登山道を行くことを選び、ロープウェーに乗ることはもうできないのだ。

鞄を左肩にかついで子どもを左手に抱え、右手の腕にスーパーの袋を1つ引っかけ、指先でもうひとつの袋を持った。明らかに許容量オーバーだ。打ち付けた右腕も痛い。けれど、これももうしかたない。

つらい日々は美談にはならないだろう。でも、この先の道中できれいな花を見つけられたら、酒の肴くらいには昇華できるかもしれない。「すっかりたくましい筋肉が腕にも心臓にもついちゃって」と笑い話にできる強さが得られるかもしれない。

傷がつき汚れた手足に、生き抜いた実感を味わえるのかもしれない。

年を取って山に登る気力や体力がなくなったとき、「昔はがむしゃらに登ってたっけなぁ」と懐かしく山を見上げる日が来るのかもしれない。

(育児の登山道はきつい。でも、自分を超えていけるきっかけも多いはず)

フラフラしながら一歩を踏み出す。重たい。でも、前には進んでいる。

「……家に帰ったら、晩御飯前だけどアイス食べちゃおうかな」

つい口をついて出た言葉に、子どもがすかさずこたえた。

「いいねぇ!」

うん。その笑顔を糧に、今日も私は山を登ろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です